今回ご紹介するビジネスのプロフェッショナル「ビジプロ」は、パチプロから起業家へと転身し、さまざまな事業を立ち上げて、現在は、だれもが簡単に使えるマーケティングツールを提供するサービスで業界に大きな影響を与えている、株式会社ベーシックの代表取締役、秋山勝さんです。
パチプロを通して学んだこと、起業家へと転身した理由、70もの新規事業立ち上げに関するエピソード、将来の野望など、秋山さんのお話を3回に分けてご紹介します。
初回は、パチプロとして十分稼いでいたのに、なぜビジネスへと舵を切ったのかなど、秋山さんの起業家転身以前のお話です。
この記事はFMラジオ、InterFMで毎週日曜20時30分からお送りしている番組「ビジプロ」で放送された内容と、未公開部分を併せて記事化しています。ビジプロは、「サラリーマンは300万円で小さな会社を買いなさい」などの書籍や、個人M&A塾「サラリーマンが会社を買うサロン」で知られる事業投資家の三戸政和が、さまざまな分野の先駆者をゲストに招いて話を聞き、起業や個人M&Aなどで、新たな一歩を踏み出そうとしているサラリーマンを後押しする番組です。番組は三戸さんとの対談ですが、記事はゲストのひとり語り風に再構成しています。
音声アプリVoicyでは、ノーカット版の「ビジプロ」を聴けますので、こちらもお楽しみください。
B2BのSaaSを通じて企業のDXを加速させる
株式会社ベーシックは、クラウドで業務用のソフトウェアを提供する、いわゆるSaaS企業です。SaaSのプロダクトを通じて、煩雑なマーケティング業務を効率化し、DXも推進するという事業を主にやっています。
現在、重点を置いている事業は2つです。1つ目の「ferret One(フェレットワン)」という事業は、だれもが簡単にWebページの制作が行える他、見込み顧客獲得に必要な複数の施策や顧客管理などをオールインワンで提供し、煩雑なマーケティング業務を効率化するサービスです。
だれもが使えるというのは、それらの作業を、コードと言われる専門的なコンピュータ言語を使わずに、簡単にできるということです。このツールを使うことで、企業はWeb制作会社などに頼ることなく、自社で手軽にWeb更新、顧客管理などができ、売る力を加速できるようになります。
もう1つの事業が、ネットでのアンケートや募集フォームを作れる「formrun(フォームラン)」というサービスです。定番のソフトウェアに、Googleの提供する無料ソフト「Googleフォーム」がありますが、formrunは、Googleフォームと同様、手軽でありながら、よりリッチでかっこいいものが作れるので、Googleフォームに物足りなくなった人が利用するソフトウェアとして、幅広く使われています。
このほか、マーケティングに関する情報を集めた国内最大級のWebマーケティングメディア「ferret(フェレット)」も運営しています。
ベーシックは、こうした事業を展開することで、法人取引領域のさまざまな問題を解決し、DXもより加速させるという会社になります。
学生時代は勉強をする意味が分からずパチプロの道で
学生時代のことからお話しすると、実は僕は、小学校4年生くらいから、勉強というものをまったくしていません。先生にはもちろん怒られましたが、考えても勉強をする意味がわからず、どうしても勉強に向き合うことができませんでした。当時は、現代のように、多様性を受け入れようという価値観はない時代でしたから、だいぶはみ出し者でした。
勉強はせずとも、授業以外が楽しかったので学校には通っていました。授業中は、話を聞いていないわけではなく、昔から問いを立てることが好きだったので、先生の話から、「それはなぜなんだろう」みたいなことを、繰り返し考えていた思い出があります。
勉強をしなかったので大学に行く学力はなく、高校を卒業したら社会に出るという選択に自然となったのですが、そこで僕が選んだのはパチンコの世界でした。
経営側の目線に立つことでパチンコの攻略法が分かった
パチンコが好きでしたし、これで生計が立てられたら最高じゃないかと、シンプルにパチプロを目指したのですが、当然、最初は儲かりませんでした。でも、あるとき、問いを立てたことがきっかけで、どんどん変わっていったのです。
どういう問いを立てたかというと、「パチンコの勝ち負けは運なのか」というものです。もしその問いがイエスで、パチンコの勝ち負けが運であるならば、その集積である店も、利益を上げられるか否かは運ということになってしまいます。
でもそうはなっていないはずで、店は一定程度の利益が出るように運営されていて、そこには、恣意的な何かが働いているはずだ。僕はそう考え、それなら勝つための方法論があるだろうと思考を巡らせていきました。
そして気づいたのが、負ける人は負けるなりの行動をしているし、勝つ人は勝つなりの行動をしているということです。パチンコをしていて、もしその日一日、当たっていないとしたら、普通はダメなまま終わることが多いのですが、多くの人は、「これだけ当たっていないんだから次は当たるだろう」と考えて、どんどん負けを積み重ねてしまいます。
ごくたまには最後に当たりが来て大逆転することもないことはありませんが、ならして考えれば、逆転の確率はかなり少ない。パチンコは基本的に確率ですから、負けないような行動をとることが大事です。
情報収集やポートフォリオを組むことの重要性にも気づきました。情報収集とは、たとえば、台についての情報です。どの台が最近当たっているのか、全然出ていないのかなどの情報を集めなければ、パチンコでは勝てません。
当たる台を取るには、朝早く起きて、開店前に並ぶ必要もあります。遅刻は厳禁です。もし遅刻して、当たる台を取れなければ、その日はやらない方がいいくらいです。でもパチンコをしなければお金は入って来ませんから、ずっと休むわけにはいきません。自分のミスが売上減につながる厳しい世界なのです。
ポートフォリオを組むというのは、当たる確率の高い台は複数あるので、仲間を作り、それぞれに戦略を与えて、チームでパチンコに臨むということです。やはり個人でやるより、群でやった方が勝ちやすいですし、リスクのボラティリティも当然小さくなります。
当時の僕らには、パチンコで生計を立てて、生きていかなければならないという大命題がありました。そのために大切なのは、一日の大きな勝ちではなく、いかに負けないかです。そのために必要な行動は、情報収集に基づいて、ポートフォリオを組み、戦略を立ててパチンコに臨むという、ほとんど会社経営みたいな行動でした。
パチプロで食うには困らなくなったが自己肯定感が得られなかった
当時のことでよく覚えているのは、朝早く起きてパチンコ店の前に並んでいるとき、出社するサラリーマンを見て、彼らよりパチプロの自分の方が、規則正しい真面目な生活をしているんじゃないかと、妙な感慨を覚えたことです。
パチンコというのは、実は打っているときは暇で、いろいろなことを考えてしまいます。当時の僕は、会社経営のようにパチプロをして、生計を立てることはもちろんできていましたし、同年齢のサラリーマンより多く稼いでいました。
好きなことで生計を立てたいとパチプロを目指し、求めていたものが手に入ったわけですが、そこにたどり着いて見えた景色は、自分が見たかったものとはだいぶ違うものでした。
結局、生計だけ立てられればいいということではなかったのです。僕にとって重要だったのは、自己肯定感が満たされることでした。パチプロで生計を立てている状況は、両親が見て喜ぶものではありませんでしたし、そんな両親の目も自己肯定感を満たす一要素でした。
パチプロはちょっと違うんだなみたいな思いが、日を追うごとに大きくなっていった結果、パチプロは辞めることにしました。パチプロはやりきったということでしょう。辞めるとなったら、あっさりと辞められました。
期間を決めて走り切ることを心に決め就職活動
そこから就職することにしたのですが、1社目の会社に入るときに1つだけ決めたことがありました。それは、これから入社する会社がどんな会社だったとしても、1年間は絶対に辞めないということです。
なぜ期間にしたかというと、入社前に、自分がどんな景色を見たいか、どんな自分になりたいかは決められない、だから1年間は最善を尽くし、1年経ったらまた見えるものもあるだろうと考えたからです。
その裏には、パチプロにはもう戻りたくないという思いがありました。パチプロは容易に想像がつくのです。あの世界に戻ってどういう行動をすれば、またどんな生活ができるかがわかる。
でも「それをまたやりたいか」と自分に問うと、「絶対にやりたくない」と思いました。そんな思いが、とにかく1年は頑張ろうという力になったのです。
何でも売るというスタンスの会社であれば何でも売れる
最初に入った会社はとにかくすごい会社でした。入社当時は創業15年ほどでしたが、社員が定着しない、どんどん辞めてしまう会社でした。なぜ辞めてしまうかというと、社長がとんでもなく神経質でヒステリーな人だったからです。
でも、この社長がなぜそんなに怒っていたのかが、あとになって理解できました。僕にとって、この社長に教えられたことはとても大きなものになりました。
僕が入社したときから社長にずっと言われ続けたことが2つあります。1つは「ウチはなにを売ってもいいのだから、売れないはずがない」というものでした。これは謎の教えのようですが、その理論は正しくて、何も知らなかった当時の僕も、素直に「確かにそうだ」と思いました。
もう1つが、「常にお客様の期待の斜め上をいけ」という教えです。たとえばポスターを作りたいお客さんに対して、お客さんの要望通りのポスターを作るだけではダメなんです。そんなポスターを提出すると、社長から「そんなのしか作れないお前には価値がない」と、もうめちゃくちゃどやされます。
社長が言いたいのは、要望通りのA案を作るのは最低限、パターンを変えたものをB案として用意してやっと並、そこからさらに、お客さんが言ったことをより深く理解して、抽象度を上げて、もう1つのC案を提案できて初めて期待以上なんだということです。
つまり、お客さんの「こんなものがほしい」という具体的な要望の背景に何があるのか、お客さんがいま置かれているのはどんな状況なのか、その会社が目指したい方向は何なのかなどまで考えを及ぼして、C案というものを提案できて初めて自分の価値があるのだということです。社長の教えはそういうものでした。
彼は社員に教えどおりにしてほしいと考えていて、でも社員は自分や時間を優先して、本来するべきことをしない。それを社長は我慢できなくて、教えどおりにしないことがいかに自分の価値を下げるかということを伝えているのですが、表現は悪いし、下手だし、ヒステリーで我慢がきかないので、社員に全然届かないのです。
でも僕にとっては、この社長が教えてくれた2つの教えは大きかったです。1社目があの会社で本当に良かったと思っています。
顧客に意思決定の物差しを渡すことでモノは売れる
何を売ってもいいということは、売り物が決まっていないということです。そうなると、価値を自分で見つけに行かなければいけないし、もっと言うと、お客さんにどういうニーズがあるのかを深く考えないと提案できません。
人間は、白い紙を渡されて、「何でも好きなものを書いていいよ」と言われると、意外と描きづらいものです。そこで、白地に一本、線を引いてあげると、線を水平線に見立てて船を描いたりしやすくなる。でもこの会社にはそんなガイドがありませんでした。
とにかく何を売ってもいいということだったので、僕は、焼却炉も運動会も風呂桶も表札も、なんでも売りました。この会社で働いたことで、結果的に、企画脳がめちゃくちゃ鍛えられたと思います。
この会社には4年半いて、社長の教えに触れ、ビジネスを通していろいろな景色を見ることができて、「遊ぶことより面白いものがこの世にあるんだ」ということにも気づきました。「仕事ってめちゃくちゃ面白いな」と思うようになったのです。
仕事は、やればやるだけお客さんに感謝されますし、お金ももらえます。パチプロをしていたときは得られず、課題として浮かび上がった自己肯定感の安定にもつながりました。だから僕はどんどん仕事にハマっていきました。そのせいで、友達からは「お前いつからそんなやつになったんだ」みたいに怒られましたが…。
次回は、秋山さんの「成熟社会になればサブスク型のサービスが主流になる」というお話などをお伝えします。
※この記事は、日曜20時30分からInterFMにて放送しているサラリーマンの挑戦を後押しするベンチャービジネス番組「ビジプロ」の内容をまとめています。
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